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FBの反応

 投稿者:松森俊尚  投稿日:2016年 5月29日(日)15時17分29秒
  しゃけべえさんはただいま定期試験の真っ最中かな?返事はいいので、報告だけしておきます。
FBにあなたの文章を投稿しましたが、たくさんの人がとても興味を持って読んでくれたように感じています。コメント書きたいのだが、どう書いていいのか、なかなかむずかしいというのが、多くの人たちの実感だったのではないかと思います。コメントくださった寺脇研さんもそう書かれています。実際にそう言葉をかけてくれた友人もありました。みんな一様にあなたが、しっかり事実と対面し、考えて、見事に文章化していることに感心し、驚いていたのではないかと思います。
多分、最後のあなたのコメント「丁度いい距離にいる大人」に安心して書けたのだと思いますが、何人かの方から頂いたコメントを下に載せておきます。またお便りもいただければと思います。
▼Yuri Ito 落語なんかに出てくる「長屋のご意見番」的なご隠居さんって、いまどき聞きませんね。人生経験豊富な高齢者と若年層の交流の場が、そもそもなくなっている。
▼松森俊尚 Yuriさん、なるほど長屋のご意見番、こわいおっちゃん、おせっかいやきのおばちゃん…のような人たちですね。
▼Toge Noriko ちょうどいい距離にいる大人…良いですね。
世代を越えて皆んなが欲しているものかもしれませんね。
▼松森俊尚 「世代を越えて皆んなが欲している」、Togeさんの言われる通りかもしれませんね。
▼寺脇 研 カタリバが掲げている「ナナメの関係」は、大学生と高校生の関係だけでなく大人と子どもの関係でも成立すると思います。
▼寺脇 研 マイモトさんのこと、私も気になっていたのですが、メッセージを送る余裕がありませんでした。
でも彼女の中でひとつの納得があったようで安心しました。
▼松森俊尚 カタリバの若者たちの活動やその思想を、私も学びたいと思っているのですが、「ナナメの関係」とはとてもイメージしやすいですね。寺脇さんの言葉、きっとマイモトさんも喜ぶと思います。
 
 

ありがとう

 投稿者:松森俊尚  投稿日:2016年 5月15日(日)00時08分53秒
  ありがとう。では「マイモト」の名前で掲載させていただきます。いつごろ投稿することになるかな?そこはお任せを。「「嫌なこと」はほとんど定期的に与えられる」とは、実感にあふれてますね。日本の中・高生は、我慢を重ねている部分が多いのかもしれません。  

希薄さ=悩み

 投稿者:しゃけべえ  投稿日:2016年 5月14日(土)00時19分5秒
  Facebookの件、大丈夫です。しかし名前を変更していただきたいです。「しゃけべえ」はもう長らく使っている名前で、他所でもこの名前を使っているので……「マイモト」でお願いします。
こびりついた生活感覚…ですか。みんなが希薄になったわけではないと思いますよ。(寧ろ大人の方が希薄なような…(^^;;)
文化が希薄になった、心や体の中が空っぽになった、というのは「嫌なこと」が溜まっているからなんです。それで悩むんです。空っぽに見える子は、文化が希薄というよりは、悩んでいる子なんです。そういう子にはそれを上回るだけの「楽しみ」がありません。
「楽しみ」は、人によりますが、必ずしも定期的に与えられるものではありません。それを楽しみと思うかは個人差がありますし。
しかし「嫌なこと」というのはほとんど定期的に与えられるものです。宿題とか勉強とか……長い目で見れば体育の苦手分野もそうです。当時は冬がくるたび持久走と縄跳びの苦痛に怯えていました……(笑)
これも個人差がありますが「宿題楽しみ!」って子は……少なくとも私はそうは思いませんでしたね(笑)
生き生きとした子はその「楽しみ」が多い。空っぽに見える子は「嫌なこと」ばかりがある。
これといった楽しみが無く、定期的な苦痛に悩む…そんな子がその文化に、生きることに執着するでしょうか?それなら一度死んでみることに興味を持ちますよ。
 

返事ありがとう

 投稿者:松森俊尚  投稿日:2016年 5月13日(金)12時26分32秒
  しゃけべえさんは高校2年生だっけ?なら、テストが終わったらまたおつきあいしてもらえるかな?
考えをしっかり書いてくれてありがとうございます。あなたが言うように、「大人には家族だとか仕事だとか、自分が欠けたら不都合が出ることを知って」いるから、つまり生活を引きずっているから、おいそれと自殺するわけにはゆかない面があります。でも子どもにも、もちろん大人のような生活感覚、金銭感覚とは違いますが、子どもなりの生活や歴史や経済があると思うんです。それがあれば、なかなか「自死」にはつながらないと、私は思っているのですが。言い換えれば、子どもたちの中に、「塊のようになってこびりついている生活感覚」のようなものが、どんどん希薄になっていってるのかと、考えてしまいます。つまり、体や心の中が空白になっているのだろうかと。
 ところで、一つお願いがあるのですが、私はフェイスブックをやっているのですが、あなたの意見がとても面白いので、「こんな高校生の意見」と投稿して、みんながどう読むのか見てみたいと思っています。5月10日付の「お久しぶりです」と「無題」を、あげてみたいと思うのですが、よろしいでしょうか?名前は、「しゃけべえ」からで。いかがでしょうか?
 

(無題)

 投稿者:しゃけべえ  投稿日:2016年 5月13日(金)00時24分47秒
  子どもが自死出来る理由ですか。これは年代別で分かれるでしょうが……
・「死ぬこと」がどういうことかよくわかっていないから。
・子どもに守るものがない(もしくはそこまで頭が回らない)から。
・楽しいことや希望がないから。
・憂鬱があるから。
小さい子ならこんな感じですかね?
大方大人には家族だとか仕事だとか、自分が欠けたら不都合が出ることを知っています。でも子どもはそこまで考えれてない(というか私は考えてなかった)でしょう。「私がいなくても…」とは思っても、「私が死んだら葬式代がどれだけかかって、後の供養にどれだけかかって、世間体も時間も金も、家族にどれだけ迷惑をかけるか」とは考えてませんでしたから。
楽しいことがないってのは完全に私の体験談です。小3か4か、本当ぼんやり死にたいなあ死にたいなあと思ってた時期がありまして。でも、数ヶ月後に無人島キャンプってイベントがありましたので「死ぬのはそれを楽しんでからでも遅くない。」と。それが終わったあとも親友が出来たりなんなりで学校が楽しみになって…としてるうちにここまで生き延びちゃってたという(笑)実に単純な餓鬼だなあと今では思います(笑)
一番子供だけではどうしようもできないのが大きな憂鬱、漠然とした不安感です。それは傍目ものっそいみみっちいものです。丁度先ほどの時期も、1、2年の時仲良かった子とうまくいかなくなり始めたころでした。それに加えて私には親から受けた小さい頃からの暗示がありましたし、「受験」が大変というのもその頃知ったことでした。
友人とのすれ違いも受験も、大人からすればよくあること、当たり前のことで、暗示に至っては本人すら気づかないこともあるものですし。子供は視野が狭い分、小さな悩みが大きく感じるようです。
私が小さい頃は悩み事は親に相談していましたが、中高生にもなるとそういうわけにもいきません。
中高生は大概親に干渉されたくないですから。思慮分別も付きますし、溜まった悩みでいっぱいになってしまうのかなと。だからそれくらいの子には相談しやすい「丁度いい距離にいる大人」が必要なんだと思います。
私は高校2年生なので大丈夫ですよ(^_^)でもこれからテスト期間が近くなるので数週間覗きに来れないかもしれません(´・_・`)

p.s.私は「子供が自死する」のではなく「大人が自死出来ない」の方が近いように思えます。具体的にどうしてとはまだわかりませんが、そちらの方がしっくりくるんです。
 

「ちょうどいい距離にいる大人」面白い言葉ですね

 投稿者:松森俊尚  投稿日:2016年 5月11日(水)11時29分30秒
  「おそらくこの先まだ長いであろう闘病生活」、何をおっしゃるしゃけべえさん、一生続くんですよ。この闘病生活が人生の味なんですよ、きっと。ところで、もういいんですか?もっとネチネチと、メソメソと続いてくれなきゃ面白くないのですが!?
「ちょうどいい距離にいる大人」とは、言いえて妙ですね。私も少しは役に立ったのでしょうか。なかなか面白い表現なので、私ももう少し考えてみます。
昨日も「中学2年生の女子が二人で自殺した」とのニュースがありましたが、「なぜ子どもが自殺するのか」、もっと正確に言えば「なぜ子どもが自死できるのか」ということが、私にはよくわかりません。しゃけべえさんには理解できますか?
あなたは高校3年生でしたっけ?受験に忙しい人にこんな質問して申し訳ないかな?もし書けるようだったら、聞かせてください。無理しなくていいですよ。
 

(無題)

 投稿者:しゃけべえ  投稿日:2016年 5月10日(火)22時39分41秒
  お返事ありがとうございます。なるほど先生程の歳になってもどうしようもないというのならそうなのでしょうね。誰もが患う持病というわけですね。もうちょっと病状がマシになってほしいですが(^^;;
ところで、今回の書き込みで気付いたことがあります。「丁度いい距離にいる大人」のことです。
ビョーキについて、私は長いこと苦しんでいました。しかし親には学校生活がうまくいっていないと思われたくないし、友人にする話でもない。子供ホットラインはありますが見ず知らずの人に話すのも…と思い、ここに行き着きました。直接会うことはないけれど私を知っている先生は、私にとって「丁度いい距離にいる大人」でした。そういう存在はポンと用意できるものではないですが、子どもにとって大きな支えになります。本当の悩み、例えばイジメなどの相談をしやすいのはそんな人だと思うからです。皆に「丁度いい距離にいる大人」がいたら自殺者も減るんじゃないか……とさえ思います。
後半は全然違う話になってしまいましたが、恐らくこの先まだ長いであろう闘病生活を頑張っていこうとおもいます(^_^)
 

「元気な」便りありがとう

 投稿者:松森俊尚  投稿日:2016年 5月10日(火)20時46分42秒
  いやあ、しゃけべえさん、お久しぶりです。まだ私のことを覚えていてくれたようでとてもうれしいです。それにお元気そうですね(なんちゅうこというねん!とあなたは言うかな?)
久しぶりに若い人の、正直な力のある文章を読みました。「『相手の気持ちを考える病』にかかっています」とのこと、いいですね。さらに「このビョーキは次のビョーキに繋がります。それは『皆私が嫌い病』です」なんて、すばらしい。
きっとしゃけべえさんは、人が一人で生きるのではなく、人と人とが関わり合って生きることの意味を深ーく・ふかーく考え始めたのだと思いますよ。人が生きるとか、暮らすというのは、あなたが言うように「実は厄介なものなのです」。言い換えればビョーキを抱えながら生きていくようなものなんです、きっと。
いつもすがすがしい笑顔を振りまきながら、まわりの友だちと軽快な言葉を交わして、健康な筋肉で躍動しながら、誰からも好かれている、かのように見える、あるいはそのように見せている人の言葉や、行動に、私はこれまで一度も心を動かされた経験がありません。
人はそのように軽快に、心地よく、愛されながら、苦しむこともなく生きることはできないと思うからです。
そこで、あなたの質問に対する答えですが、
・おそらくまだまだ相手の気持ちを考えられていないと思いますよ。もっと考えられるようになってほしい、私もそうなりたいと思っています。
・64歳になった今でも、私は「周りの目・周りからの見られ方」が気になって仕方ありません。何とかそういう自分を変えたいと、今でも思うのですが、どうにもならないでいます。つまりそれはどうしようもないのです。
・私はしゃけべえさんが素晴らしいと思います。ほかの高校生たちにも、ぜひこうしたビョーキを患って、悩みながら、それと付き合う経験をしてほしいと思います。みんなわかっていても悩むことから逃げているのか、それとも人間関係がもたらす摩擦、ひずみ、襞(ひだ)を感じる感性をなくしてしまっているのでしょうか。それって、とっても軽薄な生き方ですよね。
私はそう考えます。だからあなたが自己肯定感を持てるのかどうかはわかりませんが。そんなに「自己肯定感」にこだわらなくてもいいんじゃないでしょうか。
生きていくことは「面倒くさい」んですよ。もっとも私はその「面倒くささ」に魅力を感じているんですが。
 

お久しぶりです

 投稿者:しゃけべえ  投稿日:2016年 5月10日(火)00時44分34秒
  こんにちは先生、お久しぶりです。中学校が不安だとほざいていた私も無事ソコソコの高校で元気にやっています。
しかし私は些細なビョーキにかかったようでして、今回はそれについて書き込ませていただきます。
自分でいうのもなんですが、私はある時から「相手の気持ちを考える病」にかかっています。イジメは勿論、自分がされて嫌なことはしない、誰かに罵詈雑言を吐かない、陰口を叩かないなど……文字だけ見れば真人間のようですが、これは実は厄介なものなのです。
第一に、会話がとてもしんどくなります。相手がしてて楽しい話題はなんだろう?ここでこう返したらとても粋だけど、これは相手を傷つけないか?この一言、一挙動が相手を不快にさせていないか?会話のテンポが悪くないか?……などなど。これを過剰に気にしてしまうのです。高校は小中学校の知り合いもいないので、過剰さに拍車がかかります。更にこのビョーキを忘れて会話を楽しめた時は、後から発病します。このビョーキは次のビョーキに繋がります。
それは「皆私が嫌い病」です。と言っても、精神科にかかるほどではなく、「あの子との会話が弾まなかった…きっと私をつまらない、しんどい奴と思われたかも。」とか、「これ○○さんの悪口だ……私もきっと裏で何か言われてるんだ。」とか、「体臭で嫌われているかもしれない……(でも自分の体臭なんてあるかも知らない)」といったもので、癇癪を起こすわけではありません。思ってしまうだけです。思い込みだと頭で理解していても憂鬱さが消えるわけではないのでタチが悪いです。
加えて、自己肯定感がとてもなくなってきていると感じます。小中学校の頃は自分の立場に自信が持てていたのですが、今いるのは高校です。皆私より人格面学力面ともに優れています。そうなると私はクズだ、こんな所に居ていいやつじゃないと感じるのです。
これら全部を毎日耐え忍んでいますが、そろそろしんどいです。(前置きがびっくりするほど長くなっちゃいましたが)そこで質問です。
・相手の気持ちを考えすぎないためにはどうすればいいと思いますか?
・皆が私を嫌っているように感じるのはどうすればなくなると思いますか?
・自己肯定感を持つにはどうすればいいでしょうか?
読みづらい文章でごめんなさい。お時間あれば答えて頂けると嬉しいです。
 

力を抜くことも大事ですよ

 投稿者:松森俊尚  投稿日:2016年 4月11日(月)23時50分43秒
  教員以外の立場でよくぞやられたことと、びっくりし、感心しています。そして新年度に向かって、もうすでに全力投球の様子、びっくりポンです。
からだも心もあんまり力を入れすぎると、反対にもろくなってしまうこともありますから、くれぐれもリラックスを忘れないでくださいね。
 

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