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パパぢから検定

 投稿者:大山正義  投稿日:2008年 1月21日(月)23時31分34秒
  日本初の子育て検定が登場します!

お父さんの子育て力をチェックするパパぢから検定です。通称「パパ検」

新潟では、3月16日日曜日に行われます。
申込み締切は、2月12日火曜日となっています。

詳しくは、次のサイトにてチェックしましょう!

http://www.tokicco.net/pc/papaken.html

 
 

父と子のコミュニケーション

 投稿者:大山正義  投稿日:2007年 3月 4日(日)10時36分46秒
  本日のヤフー記事にこんなものがありました。父親の4分の1が子どもと平日接触していないと。これは過去に比べて10%もアップしているとのこと。現在いわゆるニート・引きこもり若者の自立を支援する県の会合に出ていたり、いろんなこの種のセミナーで感じることは、このような若者のほとんどが小さいときの父とのふれあいがほとんどないということです。家庭のための仕事なのか、仕事のための家庭なのか、いくら収入が増えても家庭が暗かったらその人にとっての人生は何なのか、改めて考える必要があろうかと思います。家庭が暗かったら、仕事での能率、生産性もよくならないでのは。企業のトップもそろっと考えないと、5年後から始まる人材不足に対応していけないように思えます。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/child_care/?1172922206

 

親子釣り大会

 投稿者:大山正義  投稿日:2006年10月 1日(日)09時27分4秒
  9月24日(日)朝5時半に家族全員が起きて、聖籠町教育委員会が主催する「親子釣り大会」に参加した。例年行われるのは知っていたが、次男が急に長男の影響を受けて釣りをやりたいと言ってきたので、本来釣りには縁遠い父親私もその気になって参加した。普段釣ることのできない東北電力の東新潟火力発電所の中の監視団がちゃんと配備されている安全な環境の中で、思う存分釣りを満喫した。そんなに釣りの知識がなくとも、今は道具がそろっているので、大物狙いでなかったらそれなりに夕食分ぐらいは釣れた。そして何と言っても、うちも含めて、特にお父さんが主体となる釣り。釣りを通して行われる親子の会話が非常に自然になれることだ。親子で好きなことを思う存分楽しむ会話に本当のふれ合いとコミュニケーションが生まれると実感した。魚を一緒に追いかける姿に、面倒な解説はいらない。昆虫採集も同じだか、釣りの場合、家計にいい影響を与えることがそのうえをいっている。皆さんもトライしてもらいたいものだ、  

昔の西新発田地区

 投稿者:大山正義  投稿日:2006年 1月30日(月)18時31分37秒
  西海土さんありがとうございます。私の小さい頃の今の西新発田地区は、完全の田園地域でした。昔の西新発田駅もなつかしい。白新線できあがりの当初は西新発田の駅はありませんでしたが、佐々木間が長いということから無人の駅が登場したわけです。昔は私が住んでいる地域から白新線の列車が見えたものです。学校から帰ると、この地域が遊び場所であり、春夏秋冬いろんな遊びを通して生き物とも接しました。夏の前になると、自分でドジョウを捕まえて2・3日真水で生かしてドジョウ汁として食べたものです。うちの子供でも食べたことがない日本文化がだんだん忘れかけていくことでしょう。そしてなんと言っても、新発田農業高校には畜産科があり、豚や牛が飼育されていました。そんなものも身近に感じ、極めつけは今の農高グラウンドの脇あたりに「屠殺場」がありました。牛や豚の最後の悲鳴なども聞いたものです。また、昔は多分どこでもあったかと思いますが、縁日にいくとひよこが売っていて、それを大きく育てて家庭でも食べたものです。そんな家畜との接点が昔は多くありました。だから物を大切にできたように思えます。  

いただきます

 投稿者:西海士  投稿日:2006年 1月15日(日)10時07分56秒
  「いただきます」その本来の意味は「あなたの命を私の命としていただきます」という意味なのだそうです。例えば、食卓にサンマの塩焼きがあったとしたら、サンマさんに向かって「あなたの命をいただいて、私の命とさせていただきます」というのが「いただきます」本来の意味だというのです。
昔の人々は、他の命が奪われることによって、自らの命が維持されていることを自覚していたのでしょう。捧げられた命を尊いものとして感謝し、食事をしたのが「いただきます」の始まりと思われます。産業化される以前の日本社会では、食事という最も日常的な場面ですら、命を実感することができたのでしょう。
ところが、今や食料品は半ば工業製品のようです。最近では、魚は切り身の状態で泳いでいると思っていた子どももいるとか、いないとか。切り身でトレイに乗せられパックされた魚を見ても、そこから生命が感じられないのは当然でしょう。

命の事は命に触れて体得するものです。かつて子どもは自然の中、動物の誕生や死に触れ生命の尊厳を体得しました。子どもたちは動物の出産や産卵を目撃します。親が子を大切に育てる姿に触れます。その中で無意識の内に命の尊厳を学びとったことでしょう。逆に自然の中では、死に触れることもあります。動物の死体や死につつある姿を目撃します。決して好ましいことはありませんが、動物を殺したり、いじめたりすことを通じて、子どもたちは、命のはかなさを学びます。そしてはかなさと表裏一体のものとして、かけがえのない命の大切さを体得します。

今や、都市化された環境の中で、子どもたちは命の尊厳を学ぶ機会を失っています。住宅事情からペットを飼うことも許されず、ますます、その機会は失われつつあります。いわゆる電子ペットは、その代用品でしょう。まさに時代が生み出した商品です。ペットを飼いたいが不可能である、あるいは面倒くさいと思う子どもたちのニーズに見事なまでに呼応した商品と言うべきでしょう。
古くはタマゴッチ、数年前ではファービー、今も様々な電子ペットがあるようです。しかし、どんなに精巧な電子ペットも所詮「刺激→反応」という単純な要素の集合体に過ぎません。それは数学の関数のような数値化された命に過ぎません。現実のペットたちの命は、もっと複雑で不確定要素が高いのです。そして何よりも、生身の命なので、死ぬのです。電子ペットのようにリセットもできなければ、修理も不可能です。放置しておけば、死体は腐敗し異臭を放つのです。それが生々しい現実の命なのです。
ペットであった犬や猫の死に涙し、葬儀を行い、戒名までつけるという話しは聞いたことがあります。しかし、電子ペットの死に泣きじゃくり、墓に葬り、弔辞を読む子どもは聞いたことがありません。やはり、偽物はどこまでも偽物なのです。現実の命に代わって子どもに生命の尊厳を体得させることはできません。

近年の少年犯罪に見られるいじめや殺意にブレーキがない傾向に関しては、子どもたちが生命の実感を持たないからではないかという指摘がよくされます。確かに、かつては、いじめや殺意にブレーキがかかりました。それは理屈でなく実感であったはずです。
動物をいじめて殺すことと人間をいじめによって死に至らしめることの間には超えることのできない垣根があったはずです。それは体得された、実感として揺るぎの無い物であったはずでした。もし、現在の子どもたちのなかに、そのようなものが育っていないとすれば、それは子ども自身と私たちの社会にとってあまりにも大きな欠落ではないでしょうか。

先日NHKで、給食の食べ残しの対策として子供達が野菜の栽培を通じて、さまざまな体験的学習をする中から植物学習 食学習等をして行くうちに、野菜を残す量が劇的に減少したとの事です。リアリティが大切と思われる一例かと思われます。
 

その議論も大切ですね。

 投稿者:大山正義  投稿日:2006年 1月 6日(金)04時23分21秒
  「五泉の夢想家」様のご意見は大変ごもっともです。アメリカではキャフェテリアという児童生徒向けの食堂があり、ここでは自分の好きなものをとってお金を精算する方式です。もちろんランチボックスをもってきた子どもはそれを一緒に食べることができます。東南アジアでは朝が日本と同じ給食で、昼には授業終了というところが多いと聞いたことがあります。小学校レベルでは、日本のような給食は発展途上国に多いと思います。日本も戦後、全員が貧しかった頃は、この方式がよかったのかもしれませんが、今や社会情勢の変化や個人の好みの変化により、むしろアメリカ方式がいいのかもしれません。アメリカに住むとわかりますが、肥えている人はとんでもなく肥えています。アメリカの食育なんてないに等しいと思われます。健康を考えた場合、栄養を考えた全体で食べる給食の方がいいのかもしれません。しかし、家庭での食事と学校での給食の献立に明らかに差が出ているので、子どもは食べられないと思います。確かにそれを決めるのは個人なのかもしれません。親なのかもしれません。ただ、35歳あたりを境にして、それより若い母親に食事も含めて生活に関して非常に意識の低い人々が多くなっているのも事実です。朝飯を作らない、風呂に入れない、洗濯しない親なんてざらと聞きます。よって、今の高校生あたりから将来の平均寿命は医学が進歩したとしても伸びないと思っています。この給食の問題は、私個人的には中高生の制服のあり方も含めて、その必要性をしっかりと議論する必要があろうかと思います。日本は元来の特殊法人や郵政事業も含めて、利害関係が政治に多く存在しています。これは日本の伝統でしょうか。癒着でなりたっている。自治体の庁費の中の消耗品をとってみても、昔ながらの随意で契約されているのではないでしょうか。それを取り消すと地域の業者が成り立たなくなるかもしれませんが。朝すら作れない親が多い中、弁当を希望する親が今どれだけいるか疑問ですが。また、保育園ではこんなことがあります。遠足のときもってくる「おやつ:お菓子」は園が用意するのです。個人差によって子どもが傷つくのを防ぐためです。そのようなあらゆる環境で均一化をよしとする中で、給食だけ個人の自由というのも、特に小学校では中々難しいと思うのですが。残飯にしても、お腹が一杯だから残すのではなく、食べられない、食べたことがないから残す子どもがことのほか多い。結論的には、現状の給食形式の中で天秤にかけた場合、単独方式の方がましではないかというレベルです。三食のうち、一食が変わってもどうにもなりませんが。でも変わってくれる子どもが一人でもいたら、そっちをとるべきではと思います。「ゆとり教育」とは違って、利害関係がでてくるところでは、しっかりと議論がでてこないのがいかにも日本らしい。まさに当事者抜きの給食ですね。子どもの健康をまずは優先してほしいと思います。  

当事者抜きの給食方式の問題

 投稿者:五泉の夢想家  投稿日:2006年 1月 5日(木)23時13分49秒
  給食について一言
給食方式で言えば、単独校方式とセンタ-方式がありますが、単独校方式の方が、作っている調理員さんの姿を直接見られ、調理中の匂いを感じたり、より温かいものを提供できるという意味で優れていると思います。
しかし、日本の教育の悪いところは、給食だけに限らず、それらについて親が選択できないことです。
給食方式の決定は、教育委員会の選んだ委員で審議され、教育委員会の提案によって、議員がほとんど議論することもなく議会で決まっていきます。センタ-方式では、文部省の天下りが役員となっているいろんな「協会」から、食材料が斡旋され、県の職員が「献立」をつくり、食べる子どもたちとほとんど無関係に作業していくことになっていきます。それは、作業と呼ばれるもので、食事を調理するものと違います。
また、不思議なことに、市立なのに栄養士は県の職員となっており、大概は他市から来られている人が献立を考えているのです。
その点、単独校方式は大山さんの言われるとおり、単価を考えなければ、いろいろ優れています。
要するに、経済性を重視するのか、教育の一環として給食をとらえていくのか、その考えで方式が決まるといっても過言でないでしょう。
たとえば、経済性を重視すれば新津市で株式会社にPIF方式で委託しようとしたように、株式会社に任せているところもたくさんあります。そこでは、冷凍食品が多く使われたり、パ-トの方に安上がりで作られています。
私は、給食方式の問題より、なぜ日本では「お弁当」ということも含め親が選択ができないのか、そこが不思議です。そして、何故みんな一緒に同じもの食べなければならないのか、そこが疑問です。あったかいものを食べたい子がいたり、冷たいものを食べたい子もいろいろいて当たり前なのに、何故一緒でなければいけないのでしょうか。
親の食事選択権を行政に任せているところから、考える必要があるのだと思うのですが、どうでしょうか。誰か、外国では、どうなのか教えてください。
 

子どもの本音

 投稿者:大山正義  投稿日:2006年 1月 4日(水)01時33分42秒
  今から10年以上前、知り合いに誘われてあるビール工場の敷地内にあるビアホールに行ったことがあります。ビールは出来立てが一番うまく、入れ物に入れたり輸送によって味が大きく変わると言います。確かにそうでした。そのビールの味は紛れもなく最高であり、それ以来それ以上のものを味わったことありません。食にも同様なことが言えるのではないでしょうか。酸化することによって本来の味から大きくかけ離れる食材も少なくないと思います。単純に言って、うちの次男は0歳児から保育園の給食を経験していますが、自園式の給食の方が美味しかったと言っています。今の学校給食でも残したことがない次男が言っているのですから、そうなのでしょう。次男が通っていた保育園では毎日の献立の実際の料理を見ることができます。現在のセンター方式の小学校の給食よりも、はっきり言ってメニューは単純で、見た目は美味しくなさそうです。でも、野菜好きの次男にとっては「汁物」は圧倒的に保育園の給食の方が美味しかったと言います。先日、学校給食の試食を初めて経験しました。まずくはありませんでしたが、印象に残らない味でした。近年味覚障害の子どもたちが首都圏を中心に多くなっているとのこと。離乳食を缶詰やレトルト食品と思っている若い世代の親が多くなっている中で、この味覚障害の子どもたちは多くなっていくと思います。本来の給食のあり方を、本来の調理のあり方を尊重しつつ追求することが必要かと思います。それには本音を語れる子どもの意見も十分尊重すること必要と思います。出来立てが一番美味しいのは言うまでもないことではないでしょうか。味がわからなくなっている子どもたちだからこそ、本来の味を感じさせてやりたいと思うのが私の本音です。確かに農業を取り入れた「食農教育」とか、調理師さんと一緒に給食を食べることも手段の一つかと思いますが、できない学校も多くあります。学校給食では解決できない問題ですが、学校給食をよりよいものにするには、本来の味に近い調理ができる「自校式給食」を要望したい気持ちで一杯です。これで全部の残飯の量が減になると限りませんが。それと、何事も事前の意識付けは必要ではないでしょうか。調理の音、かすかな料理の臭い、調理師さんの料理姿などが、子どもたちの食欲を増すことは少なくとも関係していると思います。家庭でその意識付けが薄くなっているからそれも意味がないではなく、学校給食でやれることも真剣に考えることが必要かと思います。単に合理化を図るだけでなく。それにしても、例年この時期になると食べたくなるのが「鯉汁」とか「寒鮒の甘露煮」です。うちでは、泥臭いと言って川魚は渓流の魚以外はほとんど食べません。でも、煮てすぐの鯉汁なら何とか全員飲みます。翌日は誰も食べません。でも、鯉汁は時間がたつに連れて美味しくなっていくと思うのですが。このような日本人本来の食文化も鯨とともに失われていくのでしょうね。

http://kids21.gr.jp/

 

顔が見えても

 投稿者:奈須野正幸  投稿日:2005年11月21日(月)00時51分54秒
  私の小学校時代(30年以上前)は、「給食のおばさんたちが心を込めて作ってくれているんだ」という旨の教えは担任から受けていたような気がします。戦後の食糧難時代を経験している教員が圧倒的多数で、残さず食べるということが給食指導における至上命題だったように思います。
でも、自校方式だろうが顔が見えようが残さず食べるように言われようが好き嫌いが多かった私には少なくとも小学校低学年のうちは給食は拷問に近い時間だったように記憶しています。
私は高度経済成長の中で少年時代を過ごし、「なぜそれほどまで」と子ども心に思うほど食べ物を大事にと教える昭和一桁の大人に育てられてきました。「若いのだからもっと食べなさい」「残してはいけません」と言われ続けた私と同年代の妻が子どもに教える食生活の基本は「無理して食うな」です。今、ここで無理して食べて何になる、全部平らげてもアジアやアフリカの難民の子どもたちのお腹がいっぱいになるわけではないと。「残さず食べなさい」といわれ続けて育ち、中年になった今は「外食は塩分が多いから残しなさい」と指導されているし。
給食で残飯が出るのはその人が食べたいもの・食べられる量を無視して一方的にあてがわれる以上、出るのは当然でしょう。好き嫌いをなくすための食生活指導という側面はあるから好きでないものでも食べさせることは必要でしょうが。
ちなみに「無理して食うな」という姿勢の私ですが、息子がバイキング形式の食事でとってきたものを残した時は叱りました。「食べられないのに取るな!無駄になる」と。
 

給食について

 投稿者:五泉の夢想家  投稿日:2005年11月18日(金)22時23分14秒
   大山さん メ-ルありがとうございます。大山さんと「給食」について、やりとりしているより
皆さんの意見も聴きながら「給食」への思いを語った方がよいと思うので、こちらの方へ場を移行しませんか?
意見のある方は、こちらへ投稿してください。
大山さんは「学校の給食の残飯の量は半端でなく、本当に何処でも多い。」と嘆いていられました。そして「センタ-式共同調理場が単独方式より多いのでないか?」という問題を提起されていました。そのことに対する、私の意見です。
 私は、その原因は方式の違いより、そもそも、子どもたちにとって、給食を造っている人の姿や心が見えていないから、私はこのようなことが起きているのだと思います。まず、子どもたちに「どこで」「どのように作っているか?」見てもらう必要があるのでないでしょうか?
そして、そこの調理員の方がどんな思いで作っているのか、きちんと、対話をする必要があるのでないでしょうか?あるいは、生徒さんが美味しかったら「手紙やコメント」が届けられるとか-。
調理員の方も「顔写真を入れたコメント」に「こんなことを工夫して作りましたと」といった感想」などを子どもたちに届けたらどうでしょう。お互いの顔が見え、食べる人と作る人の心のリレ-ができれば、残飯など減ると思っています。もう、すでに「肉」「果樹」などの販売でもしているじゃないですか?問題は、当事者抜きに「センタ-式共同調理場より単独方式がよいのてだないか」と市長が決めること自体が、逆の場合と同じく、大きな誤りなのです。食べる、当人や給食費を払っている保護者と無関係に決める方式が、何よりも日本の教育をダメなものにしているのです。私は、まず当事者の食べる者の権利として、現場を見せ、説明し、一緒に作って、判断させることから、スタ-トせるべきと思っています。とりあえず、服装の乱れの件は後にして、給食についての、私の考えです。よかったら、皆さんの意見を聴かせてください。
 

子どもの居場所

 投稿者:大山正義  投稿日:2005年 9月23日(金)01時08分25秒
  先日新潟市西地区の小学校に付設している児童クラブ(学童保育)の指導員にお会いした。年々学童保育(小学校1年から3年までの放課後支援)のニーズが高まっているが、施設はそのままの状態とのこと。小学校4年になると自動的に通えなくなるのが今の学童保育の現状。果たして3年と4年ではどこが違うのか、納得できないところもあるが。もっとすごいのが、長期休みの期間の子どもの過ごし方です。今や昔と違って、お互いの家庭を行き来する習慣が今の若い世代のご家庭にはなく、結局、近くの大型スーパーマーケットエリアの空きスペースにたむろするのが今の小学生4年次以上の実態とのこと。昔と違って、24時間化しているスーパーがあり、朝8時になると4年生以上の子どもたちが集まってくるらしい。近くのコミセンや公会堂は老人クラブに占領されて、子どもたちの居場所にはなれず、これからいったい子どもたちはどこへいくのでしょうか。今の社会状況が子どもたちをどんどん隅に追いやっているように思えてならない。  

いつのまにか・・・(父と子の二人旅、私の場合)

 投稿者:奈須野正幸  投稿日:2005年 8月12日(金)00時28分44秒
  昨年、中学3年生という受験生である息子と共に9月の2つの祝日をはさむ10日間、現住所の埼玉から北海道までのサイクリング旅行にトライしました。もちろん、学校は数日休ませて。
埼玉県加須市の自宅から仙台港を目指して北上始めて2日目、休憩で立ち寄ったコンビニで店員の女性(50代くらい?)から「息子さんと自転車旅行ですか?いいですねえ」と言われました。「ん?何か変だ」と違和感。この台詞、全く逆のパターンで聞いてきたものだ。つまり、息子が幼かった時、私と二人で出かけると「きょうはお父さんとお出かけなの?いいねえ」と息子が言われていた。それがいつの間にか、息子と旅行とはいいですねと私が言われるようになっていた。
確かに中学生で父親と一緒に旅行に出かけてくれるのは「有り難い」ことかもしれません。
父と子の二人旅、息子と私との関係が変化していることを指摘された旅でした。
ちなみにこのサイクリング旅行、3日目に息子が道路のポールに接触・転倒してしまい、救急車乗車初体験&自転車大破というアクシデントで成就しませんでした。ただ、幸い骨折ではなかったので公共交通機関を使った普通の(?)北海道旅行に切り替えて継続しました。
息子の体を間近で見たり触ったりすることなど普段の生活ではなかったのですが、旅行中はケガの部分の消毒作業&包帯交換を通じて息子の体(いつのまにかたくましくなったり毛深くなったりしていた)と向き合うことになりました。
まあ、今となっては良い思い出です。
 

父と子の二人旅

 投稿者:大山正義  投稿日:2005年 8月11日(木)18時36分57秒
  本会の会員が、先週末、父と小3のお子さん二人旅を実践されました。子どもが複数となり、年齢差が出てくると、年を追うごとに逆に全員での旅や活動は困難になる。全員にあわせること自体限界があるように感じます。そこで登場したのが、「親子二人旅」です。必ず一人一人でやれば不公平さは出てこずに、むしろ親と子の絆は深まると思います。お父さんとの思い出が一杯になると思います。これを来年度の本会の一つのテーマとして実践していきたいと思いますし、その結果を発表しあうことも面白いいかなと思います。  

一年に一度はいいものです。

 投稿者:大山正義  投稿日:2005年 7月21日(木)18時56分42秒
  7月9日(土)午後5時から本会会員と一般市民向けに学習会を行いました。20人近く方が集まっていただけました。メインテーマは「少子高齢社会のまちづくり」で、男女共同参画社会に向けての気づきの学習会でした。日頃多忙の子育てからチョットだけ開放される会でした。終了後、懇親会を皆さんと行いました。今まで年二回の懇親会はいずれも平日でしたが、むしろ週末の方が本会には適していると実感した次第です。  

有り難うございます

 投稿者:松陽山下  投稿日:2005年 6月 8日(水)02時16分0秒
  大山様。
有り難うございます。
初秋の京都観光を兼ねて,お越し戴ければ有り難いです。
気軽な気持ちでお越し下さい。他府県から来られた皆さんが「本当に来て良かった」と
思って帰られるように,京都のメンバーは頑張ってます。
前向きにご検討の程,宜しくお願い申し上げます。
 

情報ありがとうございます。

 投稿者:大山正義  投稿日:2005年 6月 7日(火)23時55分58秒
  京都松陽おやじの会代表の山下様、お誘いいただきましてありがとうございます。会員に周知してみます。個人的には京都久しぶりなので行ってみたい気持ちはありますが。ご盛会をお祈りいたしております。  

お誘い

 投稿者:松陽オヤジの会メール  投稿日:2005年 6月 4日(土)15時38分16秒
  初めまして。
京都市にある松陽(しょうよう)オヤジの会代表の山下と申します。
突然のメール,お許し下さい。
当京都市には,本年度加盟分を含め145のおやじの会がございます。
その連絡会が京都おやじの会(http://www.kyoto-yaji.jp/)です。
そして,松陽オヤジの会を含む,京都おやじの会加盟のおやじの会で本年9月3日
「第3回 全国おやじサミットin京都」(http://www.kmn.or.jp/oyaji-summit/)を開催することになりました。
第1回は香川県で,第2回は三重県で開催され,第3回目を京都で開催致します。
詳細は,HPをご覧下さい。
もし,興味がございましたら,ご参加戴ければ有り難く思います。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。

全国おやじサミットin京都
実行委員長 山下重喜
(松陽オヤジの会代表・京都おやじの会副会長)
 

問題行動

 投稿者:大山正義  投稿日:2005年 6月 4日(土)00時36分1秒
  5月28日新発田女性会議主催の講演会で前新潟県少年サポートセンター所長の話を聞きました。途中何度も目頭が熱くなるほど、実際の話には感動させられた。市内高校生が中条のコンビニで強盗致傷などを犯すなど、その問題行動の程度が劣悪化している。今回の話の中には、問題行動の背景には必ず家庭問題があるとのこと。人間は元来純粋に生まれてくるものであり、勝手に色をつけられるのは家庭によるところが大きい。子育ては親育てと言われる。今の親を育てたのもその親である。他人事でなく、みんなで少しずつ解決できる道を考えていきたいものだ。  

学校の日照

 投稿者:大山正義  投稿日:2005年 5月 8日(日)02時53分40秒
  久保田様投稿ありがとうございます。新潟県の田舎都市の新発田市では全く縁のないことかと思っています。逆に不審者のチェックにおいて、学校所有地が広範囲なため難しい面があります。  

学校の日照を守ろう

 投稿者:久保田正尚メール  投稿日:2005年 5月 7日(土)23時34分38秒
  突然お邪魔します。はじめました。東京の渋谷区立小学校PTA連合会会長の久保田と申します。最近、都心では、規制緩和の為、高層建築物によって無慈悲にも幼稚園や小学校までが日陰の中に埋没する事例がでてきました。私達は教育機関の日照を守る運動を行っています。全国の皆様、応援宜しくお願い致します。

http://members.at.infoseek.co.jp/sibupren/

 

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